「積ん読」になっていた、沖縄論と靖国論ですが、まずはボリュームが少ない、靖国論を読みました。以前の作品の再録や、 加筆したものが多い構成でしたが、まずは、靖国神社に関する成立ちや歴史、また総理大臣の靖国参拝の歴史から始り、戦犯とは、 政教分離の弊害とは、無宗教とは、といった内容になってゆきます。
つまりは、今の日本人は、外から(米中韓など)も、内からも(左翼系勢力)、日本独自の文化や伝統を破壊され、 アイデンティティーを侵略されているという結論です。日本人のアイデンティティーは、食い荒されて、清朝末期のようだ、 という表現をする人もいるようです。
日本の独自文化や伝統の破壊、というのは異論は感じないところです。靖国神社の問題は、すでに宗教の問題ではなくて、 政治の道具になってしまっていますが、やはりA級戦犯だけ分けろ、とか言っても、祭られている神様を一部だけ取出して分けろ、というのも、 宗教的な観点から見ればかなり無理を感じますし、国立追悼施設、というのも、英霊を慰める、と言う観点からすれば、 わざわざつくる意味は薄いように思います。ただ、中国なり、韓国なりの批判をかわすためだけ、というものではないでしょうか。
もちろん、神道=日本の伝統、というわけではなく、神道的なものの考え方は、これまで二千年以上かけて育まれてきた、
日本独自の文化や、伝統の一部であると思います。
日本人自身が、戦前の日本の否定や、靖国神社の否定や、政府は政教分離で無宗教であれ、など戦後の価値観のみで、また、
どこかの国から輸入してきた価値観で、自身のアイデンティティーを構築するのは、無理があるのではないでしょうか。ここ数年の、
訳のわからない動機の犯罪や、つまらない理由の事故など、限界に来ているサインのように思えます。
昔でいうところの「道徳」は、何かというと、戦前、ということで否定される傾向にあったと思いますが、もっと遙か昔から、
時間をかけて私たちの祖先が作り上げてきたもので、今の自分達のバックボーンたるものだ、ということを考える必要がありそうです。
私は、「靖国論」と言うよりも、宗教的側面から見た日本人のアイデンティティー、というふうに読みました。
余談ですが、今の小中学校の授業には「道徳」という時間はないそうですね。いつから無くなったのか知らないのですが、 意外と無くなったことの影響が大きいのでは?
私が子供の頃の道徳の授業というのも、教科書を読めば道徳が身に付く、というものでもないので、映画やTVを見たり、
皆で考えて討論をしたり、という感じだったと思います。確かに、授業自体の意味合いはよくわからないものでしたが、少なくとも、
(家庭以外で)社会のマナーやモラル、といったことを考える機会にはなっていました。
もし、そういった機会が無いままに大人になってしまったら、いったいどのような価値観が育つのでしょうね・・・
[積ん読] 沖縄論・靖国論
http://isata.seesaa.net/article/6142587.html



