2005年10月11日

ゴー宣スペシャル・靖国論

 「積ん読」になっていた、沖縄論と靖国論ですが、まずはボリュームが少ない、靖国論を読みました。以前の作品の再録や、 加筆したものが多い構成でしたが、まずは、靖国神社に関する成立ちや歴史、また総理大臣の靖国参拝の歴史から始り、戦犯とは、 政教分離の弊害とは、無宗教とは、といった内容になってゆきます。

 つまりは、今の日本人は、外から(米中韓など)も、内からも(左翼系勢力)、日本独自の文化や伝統を破壊され、 アイデンティティーを侵略されているという結論です。日本人のアイデンティティーは、食い荒されて、清朝末期のようだ、 という表現をする人もいるようです。

 日本の独自文化や伝統の破壊、というのは異論は感じないところです。靖国神社の問題は、すでに宗教の問題ではなくて、 政治の道具になってしまっていますが、やはりA級戦犯だけ分けろ、とか言っても、祭られている神様を一部だけ取出して分けろ、というのも、 宗教的な観点から見ればかなり無理を感じますし、国立追悼施設、というのも、英霊を慰める、と言う観点からすれば、 わざわざつくる意味は薄いように思います。ただ、中国なり、韓国なりの批判をかわすためだけ、というものではないでしょうか。

 もちろん、神道=日本の伝統、というわけではなく、神道的なものの考え方は、これまで二千年以上かけて育まれてきた、 日本独自の文化や、伝統の一部であると思います。
 日本人自身が、戦前の日本の否定や、靖国神社の否定や、政府は政教分離で無宗教であれ、など戦後の価値観のみで、また、 どこかの国から輸入してきた価値観で、自身のアイデンティティーを構築するのは、無理があるのではないでしょうか。ここ数年の、 訳のわからない動機の犯罪や、つまらない理由の事故など、限界に来ているサインのように思えます。
 昔でいうところの「道徳」は、何かというと、戦前、ということで否定される傾向にあったと思いますが、もっと遙か昔から、 時間をかけて私たちの祖先が作り上げてきたもので、今の自分達のバックボーンたるものだ、ということを考える必要がありそうです。

 私は、「靖国論」と言うよりも、宗教的側面から見た日本人のアイデンティティー、というふうに読みました。

 

 余談ですが、今の小中学校の授業には「道徳」という時間はないそうですね。いつから無くなったのか知らないのですが、 意外と無くなったことの影響が大きいのでは?

 私が子供の頃の道徳の授業というのも、教科書を読めば道徳が身に付く、というものでもないので、映画やTVを見たり、 皆で考えて討論をしたり、という感じだったと思います。確かに、授業自体の意味合いはよくわからないものでしたが、少なくとも、 (家庭以外で)社会のマナーやモラル、といったことを考える機会にはなっていました。
 もし、そういった機会が無いままに大人になってしまったら、いったいどのような価値観が育つのでしょうね・・・

 

[積ん読] 沖縄論・靖国論
http://isata.seesaa.net/article/6142587.html

 

 

posted by いさた at 01:53 | Comment(0) | TrackBack(1) | レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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靖国問題を考える(2)
Excerpt: どうせまたそのうち行くんだろうなぁ??と思ってましたが、やはり行きましたね。小泉首
Weblog: Johnny style!
Tracked: 2005-10-27 17:28
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