建設相や運輸相などを歴任された、元衆議院議員の江藤隆美氏が旅先のベトナム・ホーチミンで亡くなられたとのこと。 82歳。心臓マヒで亡くなられたとのことで、突然の訃報ですね。こういった旅先の異郷で無くなることを「客死」 (かくし)というそうです。
政界引退直前は、小泉政権での「抵抗勢力」の代表格、道路族の代表格でしたね。政治家としては、功罪半ばで、 毀誉褒貶(手書では書けないな(^^;)が激しい方という印象です。かくしゃくとしておられましたが、 こうした訃報に接すると、生命のはかなさを感じますね。
故人のご冥福をお祈りいたします。
毎日.jp
訃報:江藤隆美さん82歳=元衆院議員
運輸相や総務庁長官などを歴任した自民党の江藤隆美元衆院議員が22日朝、訪問先のベトナム・ ホーチミン市内のホテルで死去した。82歳。葬儀の日程などは未定。 江藤氏は19日から農畜産業の視察でベトナムを訪れ、24日に帰国する予定だった。
江藤氏は宮崎県出身。宮崎農林専門学校卒業後、 同県議を経て旧宮崎1区から自民党公認で衆院議員に当選。中曽根内閣で建設相、海部内閣で運輸省、 村山内閣で総務庁長官を務めた。小選挙区制が導入された1996年衆院選では宮崎2区から出馬。当選10回。
総務庁長官当時の95年10月、記者団とのオフレコ懇談で 「植民地時代には日本が韓国にいいこともした」と発言。韓国政府が強く反発したうえ、当時の野党、 新進党が不信任決議案を提出したのを受け、11月、就任3カ月で辞任した。
旧渡辺派と亀井グループが合併した江藤・亀井派の会長を務めた。 03年衆院選に出馬せず政界を引退した。
asahi.com
元総務庁長官の江藤隆美さん死去
2007年11月22日13時21分
建設相、運輸相、総務庁長官などを歴任し、自民党江藤・亀井派(現伊吹派) 会長を務めた元衆院議員の江藤隆美(えとう・たかみ)氏が22日午前9時50分(日本時間午前11時50分)、 ベトナム・ホーチミン市内のホテルで意識不明になっているのが発見され、その後、死亡が確認された。死因は心臓まひ。 82歳だった。通夜、葬儀などは未定。自宅は宮崎県日向市亀崎東4の117。
伊吹派に入った連絡によると、江藤氏は19日から私用で東南アジアを旅行中で、ハノイを経由し、 21日にホーチミンに入ったという。出発時間になっても起きてこないことから、部屋を訪ねた同行の秘書が発見した。
宮崎県出身。69年の総選挙で初当選し、通算当選10回。故中川一郎氏を中心としたタカ派の「青嵐会」 に属し、自民党国会対策委員長、幹事長代理などを務めた。海部内閣の運輸相だった89年には、 成田空港建設反対派に対し「地元への説明不十分が問題長期化の原因となった」と国の誤りを認め、 話し合い路線に道を開いた。
農林族、道路族の「実力者」として鳴らした。 道路公団民営化などの構造改革を旗印にした小泉内閣に対しては「抵抗勢力」を自認し、批判の急先鋒(きゅうせんぽう) となった。
歯にきぬ着せぬ発言で知られ、発言が問題化したこともあった。村山内閣の総務庁長官だった95年には、 朝鮮半島に対する日本の植民地支配に関連して「日本は良いこともした」と発言、 韓国の強い反発を招いて辞任に追い込まれた。
中曽根派に属し、旧中曽根派の一部と亀井静香氏(現・国民新党代表代行) のグループが合併してできた派閥「志帥会」の第2代会長を務めた。 03年に地盤の宮崎2区を長男拓氏に引き継いで政界を引退。同派会長を亀井氏に譲った。




江藤さん、あの眉毛に個人的に注目していた拙僧でしたが、亡くなられましたか。しかし、ベトナムで何があったんでしょうかね?ただの病死だとは思いますが、しかし、急なお話で驚きました。心から哀悼の意を表したいと思います。
>あの眉毛に個人的に注目していた拙僧でしたが
村山元首相には及ばないものの、なかなか立派な眉毛でしたね。
享年82歳、東南アジア旅行は、身体に負担がかかっていたのでしょうか。