16日に映画監督・大島渚さん、そして今日19日に元横綱・大鵬さん、と主に昭和に活躍された方々の訃報が相次いでいます。
大鵬は、リアルタイムにその強さを体験していない私にとっては、「巨人・大鵬・卵焼き」のフレーズと共に、伝説的強さの横綱、というイメージです。
今の大相撲の「横綱」よりも当時の横綱の方が重みがあったのではないかと想像します。
大島渚監督は、「戦場のメリークリスマス」から親しみがありますが、どちらかといえば映画監督というよりも、朝まで生テレビで突然キレる文化人、というイメージが強いです。
こういった方々訃報を聞くと、自分自身の年齢の重ね具合が実感されてきます・・・故人のご冥福をお祈りいたします。
YOMIURI ONLINE
大島渚さん=映画監督
「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」などで日本映画の世界的評価を高めた映画監督の大島渚(おおしま・なぎさ)さんが、15日午後3時25分、肺炎のため神奈川県藤沢市内の病院で亡くなった。80歳だった。告別式の日程は未定。喪主は妻で女優の小山(本名・大島)明子さん。
長男の武さん(49)によると、大島さんは昨年12月に救急車で病院に運ばれ、肺炎と診断されて入院していた。数日前から血圧が下がり、15日午後2時ごろから危篤状態となった。亡くなる直前まで意識ははっきりしており、「がんばって」という家族の呼び掛けにうなずいていたという。
京都府出身。1954年、京大卒業後、松竹大船撮影所に入社。大庭秀雄監督らの助監督を務めた後、59年に「愛と希望の街」で監督デビュー。続く「青春残酷物語」などで、篠田正浩監督らと共に「松竹ヌーベルバーグ」と呼ばれ、日本映画界に新風を送り込んだ。
(2013年1月16日00時11分 読売新聞)
大相撲で最多32度の幕内優勝を誇り、横綱柏戸とともに「柏鵬(はくほう)時代」を築いた第48代横綱大鵬の納谷幸喜(なや・こうき)さんが、19日午後3時15分、心室頻拍(しんしつひんぱく)のため、都内の慶応大学病院で死去した。72歳だった。
告別式などは未定。柏戸も1996年、58歳で死去しており、一時代を築いた両雄が世を去った。
樺太(現ロシア・サハリン)生まれ。父はウクライナ出身で、戦後、母や兄、姉と北海道弟子屈(てしかが)町に移り住んだ。1956年、16歳で二所ノ関部屋に入門、秋場所で初土俵を踏んだ。十両昇進と同時にしこ名を大鵬に改め、60年初場所で新入幕を果たした。柔軟な体と器用な取り口で番付を上げ、その年の九州場所後に大関に昇進。大関5場所目だった翌61年秋場所で柏戸との決定戦を制して3度目の優勝を飾り、柏戸とともに横綱に昇進した。21歳3か月での昇進は当時、最年少記録だった。
全盛期の大鵬は子供たちのあこがれであり、さらに強さの代名詞でもあったことから、「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉も生まれ、国民に愛された。
(2013年1月19日20時43分 読売新聞)