東京都羽村市の小学校に勤務する教員が、子供の遺体写真や児童ポルノ写真を無断で大量に掲載していたそう。 子供の遺族の感情を逆撫でするようなコメントの掲載や、遺族に写真を掲載しているサイトがある、 と匿名でメールを送ったりもしていたそうです。
嗜好としてはネクロフィリアとペドフィリアの複合なのでしょうか。遺族にわざわざ知らせるなど、 明らかに異常ですね・・・よりによってこういう人物が教師なのだから(本人の嗜好に適した職業なのだろうが)、 どうしようもない。まずは即刻免職なり処分をすべき。
この教師はこれまで教え子たちを一体どのような目で見てきたのだろうか。そして、 この教師の教え子たちがもし事実を知ったら、いったいどう思うのだろうか。
asahi.com
事故死の子どもの写真をHPに無断転載 教諭を書類送検
2006年12月04日03時05分
車の事故で亡くなった子どもの写真などを自分のホームページに無断で転載したとして、愛知県警が、 東京都あきる野市に住む小学校教諭の男(33)を著作権法違反(公衆送信権の侵害) の疑いで書類送検していたことが3日明らかになった。
教諭は交通事故以外にも、虐待や災害で死亡した子どもの遺体の写真を大量に掲載していたという。 裸の写真も含まれていた。
名古屋市緑区の片岡樹里ちゃん(当時3)の親や、 97年にダンプカーにひかれて死亡した東京都世田谷区の片山隼君(当時8)の親ら、 無断転載をされた各地の事故の遺族6組が4日、人の死をもてあそんだ内容だとする侮辱容疑での告訴状と児童買春・ 児童ポルノ禁止法違反容疑での告発状を警視庁に提出する。
愛知県警生活経済課と緑署の調べでは、教諭は、 保育園の屋上駐車場から転落した車の下敷きになって02年に死亡した樹里ちゃんの写真などを、 親がつくったホームページから無断で自分のホームページに載せた疑い。
教諭は、樹里ちゃんの写真2枚と身体測定の記録、図画、先生と母親の連絡帳の記述を無断転載していた。 写真には「この笑顔がペッチャンコになってしまった」などのコメントをつけていた。
遺族側によると、教諭は現在、東京都羽村市の小学校に勤務。別の小学校にいた03年1月ごろ、 「クラブきっず」という名前のホームページを開き、今年11月まで運営していた。インターネットの掲示板では 「三度の飯より子ども死体」と名乗って、自分のホームページを宣伝していたという。
樹里ちゃんの母朋美さん(42)は今年8月、教諭を著作権法違反容疑で愛知県警に告訴した。 朋美さんは「子どもをしのんで作ったホームページを面白半分で掲載され、ショックだった。 教諭である人間が命を軽視するのは許せない」と話している。
教諭は3日、朝日新聞の取材に対し「(遺族には)大変、心ないことをして申し訳ない」と話した。
毎日インタラクティブ
交通事故:死亡した子どもらの写真をネット掲載 告訴へ
交通事故死した6人の子どもの写真が、インターネットのホームページ(HP) 上に無断で大量に掲載されていたことが3日、分かった。HPには子どもの生前の写真と遺族を侮辱するコメントも掲載。 遺族らは4日、HPを制作した東京都あきる野市の小学校教諭の男(33)を侮辱容疑で警視庁に告訴する。また、 別の子どもの裸の写真を掲載していたとして、児童ポルノ処罰法違反容疑での告発もする。
関係者によると、 HPには東京の片山隼君ら6人の遺族が事故の悲惨さを訴えようと立ち上げたHPから無断転載した写真を掲載。 さらに遺族の感情を逆なでするコメントがあった。また、男は「写真が載ったHPがある」 と匿名のメールを遺族にも送りつけていた。
隼君の父、徒有(ただあり)さん(50)らが弁護士らと調査を進め、男が交通事故のほか、 虐待や災害で死亡した子どもの遺体や裸の写真などを大量に掲載したHPも制作していたことを突き止めた。さらに 「クラブきっず」という名前でHPを運営、別のHP上で「3度の飯より遺体が好き」 などと名乗って自らのHPを紹介していたことが分かり、告訴・告発に踏み切ることを決めた。
徒有さんは「HPで、誰もが自由に発言したり、議論するのは大事なことだと思う。しかし、 興味本位や性的倒錯の気持ちで見られるのは遺族にとってはたまらない。サイト管理者が自己規制してほしい」と語った。
名古屋市緑区の保育園で02年9月、 屋上駐車場から落下した車の巻き添えになり死亡した片岡樹里ちゃん(当時3歳)の母、朋美さん(42)は 「まさかこんなことをされるとは本当に信じられず、娘にも申し訳ない。命を軽視する人は放置できない。 厳しく処罰してほしい」と話した。
◇女児写真掲載で9月書類送検も
男は現在、東京都羽村市の小学校に勤務。名古屋市で事故死した女児の写真を無断掲載したとして、 今年9月に愛知県警が著作権法違反容疑で書類送検していた。【永井大介、鈴木顕】
毎日新聞 2006年12月3日 20時36分 (最終更新時間 12月4日 1時23分)