音楽の都ウィーンが首都の、オーストリア共和国の日本語表記が、いつの間にか「オーストリー共和国」
になっていたそうです。駐日大使館が正式発表したそうで、かなりの意気込みのようですが、唐突なことで混乱している模様。
私は引用記事を読むまで、このことは知りませんでした。
日本語表記では、南半球のオーストラリアと紛らわしい、というのが変更の理由だそうです。オーストリア大使館には、
間違って来訪する人のために「オーストラリア大使館」への地図を用意しているほどだそうなので、
よほど間違いが多いのでしょう(^^;
伝統ある国といえども、さすがにオーストラリアに日本語の表記の変更を迫る、ということしなかったのですね。
また、実は戦前までは「オウストリ」と表記されていたということで、
由緒ある名前の復活ということでもあるようです。新しい書方が定着していくかどうかですが、しばらくの間オーストリア、
オーストリー、オーストラリアの三者で混乱するように思います(^^;
教科書がオーストリーに書換えられるとか、報道の取決めでオーストリーと呼ぶ、という風にならないと、
定着するのは難しいのでは。
語感としては「オーストリー」よりも「オウストリ」の方が好きですね。「オウストリ」の方が、 豪州との区別がよりしやすい気もします。
Sankei Web
「オーストリア」紛らわしい?大使館が正式に国名変更
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欧州の伝統国「オーストリア共和国」が、いつの間にか「オーストリー共和国」 となっていたことが15日、わかった。似た国名の「オーストラリア」との混同を避けるというのが目的で、 同国駐日大使館商務部のホームページで「日本語表音表記の変更」として正式発表した。「栄光のハプスブルグ帝国」 「音楽の都ウイーン」など、中世からの重厚な歴史と文化を誇る強大帝国の名称復活はめでたい限りだが、 あまりに唐突な変更に周囲から戸惑いの声が上がっている。
発表文はペーター・モーザー駐日オーストリー大使とエルンスト・ ラーシャン同大使館商務参事官名で10月に出された。文面はまず 「日本ではオーストリアはオーストラリアと常に混同されており、違いを明確にするため」と今回の変更の目的を明記。 続いて19世紀から1945(昭和20)年までは「オウストリ」と表記されていた史実が列挙され、「(日本国内で今後) 『オーストリー』の名が広く速やかに浸透していくことと存じます」と結ばれている。
あまりに突然な変更だが、この「オーストリー」の表記、実は日本人には馴染み深い。 国内初の本格的な国際地理誌「萬國地名往来」=1873(明治6)年発行=には同国は「ヲウストリ」とされ、 翌年開催されたウィーン万国博覧会も開催国「オウストリ」と宣伝された。第一次大戦までは英独仏露とならぶ欧州五大国 (列強)の一角だったこともあり、文明開化後、富国強兵の憧れが強かった日本にとって「オーストリー」 の表記は憧れの存在でもあった。
オーストリー帝国はその後、第一次大戦での敗戦により解体され、ドイツ人地域で共和国化。 第二次大戦前にはナチス・ドイツに併合されこともあり、同大戦後は永世中立国として再出発した。 激動の20世紀にもまれた同国は冷戦時、東西の接点の役割も果たしていたが、近年の欧州連合(EU) 加盟などにより中立色が薄れ、その後は欧州の一員としての性格を強めている。
英語読みの「オーストリア」が主流となったのは第二次大戦後。ここから南半球の大国「オーストラリア」 と混同する日本人が増え始めた。 最近では東京都港区元麻布の同国大使館には間違って訪問する人のためにオーストラリア大使館(同区三田) への道順を記した地図を用意するほど。かつての伝統国が直面しているのは、こうした現実だった。
今回の変更で、同国関係者はすでに「オーストリー」と刷られた名刺を使うなどかなりの意気込み。 その半面、国内からは「いつ変わったの?」「どっちの表記を使えばいいの?」といった問い合わせが寄せられるなど、 混乱の感は否めない。平成15年に「スロヴェニア」を「スロベニア」、「チェッコ」を「チェコ」、「サイプロス」を 「キプロス」に変更したばかりの外務省は「オーストリア大使館からの正式な申し入れがありませんので…」 と態度を決めかねているもよう。
「オーストリア」と「オーストリー」、定着するのは果たしてどっち?
(11/15 20:57)
いっそのこと、正式国名である「エステルライヒ」にすればいいんじゃないかなぁ。(ウムラウトの発音が日本人には難しいけど)
>いっそのこと、正式国名である「エステルライヒ」にすればいいんじゃないかなぁ。
正式国名なら確かに区別ははっきりすると思いますが、今度は日本語表記の馴染が無さ過ぎて、どこの国かわからなくなってしまうのでは(^^;
難しいですね。