2011年09月14日

震災翌日、致死量の被曝可能性想定

 東日本大震災の翌日、福島第一原発周辺では、条件によっては致死量に至る被曝可能性の検討がなされていたとのこと。これは、原子力安全・保安院の内部文書によりわかったという記事がありました。

 事故発生当初の危険な状態では、危機対応としてさまざまな想定はするべきでしょうし、当たり前と言えば当たり前でしょう。逆に非常に楽観的な想定だけ、あるいは検討もしていない状況よりははるかにマシだった、ということですね。

 

 まあ、安全保安院が想定した最悪な事態にまでは至らなかったので、アサヒの記事も事実を淡々と書いている、というか政府に批判的なニュアンスは感じられません。

 あえて批判するとすれば、事故対策でそのような想定を明らかにしなかった、情報操作的な政府の対応でしょうか。

 今は冷静に考えられますが、もしこんなことを震災翌日に公表していたら、相当な確率で日本はパニック状態になったのではないでしょうかね。それを考えると、情報公開といっても難しいところがありますね。

 

 ところで、この安全保安院の文書は「1号機において耐圧ベントができない場合に想定される事象について(案)」という題だそうです。

 (案)は役所で作成した文書でよく見られ、これは(もし文書に間違いがあった時などの)責任回避のためにつけられていると聞いたことがありますが、こういった緊急事態の場合にもやはりつけているのですね。

 こんな時にまで(案)をつけるとは、いや、冷静というか余裕があるというか・・・・

 

asahi.com
「ベント不成功なら致死量の被曝」保安院、震災翌日想定

 東京電力福島第一原発1号機の格納容器の圧力を下げることができなかった場合に発生が想定される事象として、原子力安全・保安院が、敷地境界での被曝(ひばく)線量が「数シーベルト以上」に達すると見込んでいたことが、情報公開法に基づき開示された同院の内部文書で分かった。7シーベルトが全身被曝の致死量と言われており、敷地内では人が生きていられない状況になる可能性が政府部内で検討されていたことになる。

 この文書は「1号機において耐圧ベントができない場合に想定される事象について(案)」と題され、保安院が3月12日午後1時ごろに作成した。

 当時、1号機の格納容器の内部の圧力は750キロパスカルで、設計上の使用圧力を大きく超えていた。格納容器の破裂を防ぐため、東電は午前中から、内部のガスを外部に放出する「ベント」と呼ばれる作業を始めたが、弁を開けるのに手間取っていた。

 保安院の文書は「ベントができない状態が継続する場合、約10時間後(午後11時)に大量の放射性物質が放出される」「気象条件によっては、発電所から3〜5キロの範囲において著しい公衆被ばくのおそれがある」としている。

 

posted by いさた at 13:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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