2001年9月11日のアメリカの同時多発テロ、記憶ではまだ鮮やかですが、もう10年前のことになります。
昨日ですが、そのテロを主導したとされるアルカイダのオサマ・ビンラディンが、パキスタン国内でアメリカ軍によって殺害されたそうです。
アメリカの国を挙げての「復讐劇」の一つの大きな区切りとなったのは間違いないところですが、これで「テロとの戦い」が終焉を迎えたわけでは無さそうです。
アルカイダが彼1人に統率されていたわけでもなさそうですし、他にも大きな頭や小さな頭がいくつもありそうな感じです。しかし、テロを行った者は必ず追い詰める、という事を知らしめるためには必要なステップなのかもしれません。
アメリカの発表はありましたが、ビンラディンの遺体はすぐに水葬したなど、真偽のほどがちょっと疑われるようなところもあります。また、何より今回のアメリカ軍の行動が、国際法的に見て軍事作戦の一環であったかどうか疑問視する声もあるようです。
「暗殺」よりは、生け捕りにして過去の様々なことを解明する方が賢明だったのではないでしょうか。それでこそ、「テロとの戦い」の意義が出てくるのでは。
asahi.com
ビンラディン容疑者を殺害 米大統領「最大の成果」
2011年5月2日22時45分
オバマ米大統領は1日夜(日本時間2日)、ホワイトハウスで演説し、2001年の米同時多発テロを首謀したとされる国際テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビンラディン容疑者を米軍などがパキスタン国内で殺害し、遺体を確保したと発表した。同容疑者の死亡によって、約10年に及ぶ米国のテロとの戦いは大きな節目を迎えた。
オバマ大統領は演説の冒頭で、ビンラディン容疑者が「数千人の無実の男女や子どもを殺害した責任を負う」とし、「米国の作戦によって死亡したと、米国民と世界に報告する」と語った。ビンラディン容疑者を拘束または殺害することが就任以来の最優先課題だったとし、「アルカイダ打倒の戦いの中で、最も大きな成果」と強調した。
米政府高官によると、米中央情報局(CIA)が昨夏、ビンラディン容疑者がパキスタンに潜伏しているとの情報を入手。その後、同国北部アボタバードの潜伏先を特定した。オバマ大統領は4月29日、身柄を確保するための作戦を許可した。
作戦は現地時間の2日未明に実施され、小規模の実行部隊がヘリコプターを使って潜伏先を襲撃。ビンラディン容疑者は銃撃戦の末に死亡し、遺体は米側が確保した。この際、同容疑者の側近2人や息子らも死亡した。
米メディアによると、実行部隊は米海軍特殊部隊(SEALS)とCIAの軍事部門。ビンラディン容疑者は襲撃に抵抗し、頭部に銃弾を受けた。米当局は身元の確認のため、遺体のDNA型鑑定を実施しているという。
一方、AP通信などによると、同容疑者の遺体はすでに水葬された。イスラム教の慣習で死後すみやかに埋葬すべきだとされることや、遺体の受け入れ国を探すのが困難なことが理由という。また、イスラム教の慣習に従って土葬すると、同容疑者の支持者らがその場所を「聖地」とみなしたり、遺体を奪還しようと攻撃を仕掛けたりする可能性も懸念したとみられる。
米政府高官は、ビンラディン容疑者の死亡について「アルカイダや関連武装勢力に壊滅的な打撃となる」と指摘。一方、指導者を失ったアルカイダ側が「米国を攻撃する努力を加速させかねない」とし、米政府が世界各地の大使館に「報復テロ」への警戒を呼びかけたことを明らかにした。
オバマ大統領も「我々は国内外で警戒心を保たねばならない」と述べたが、イスラム世界への配慮から「米国はイスラム世界と戦争しているわけではない」とも強調した。
オバマ政権は今年7月、アフガンに駐留する米軍約10万人の部分撤退を始める。アルカイダとの戦いで「最も偉大な勝利」(米政府高官)を受けて、約10年に及ぶ泥沼の戦いからの出口がようやく見え始めたとも言える。
ビンラディン容疑者は、1957年、サウジアラビアで建設業で財をなした富豪を父に生まれた。旧ソ連がアフガンに侵攻した79年以降にイスラム・ゲリラに参加。91年の湾岸戦争でサウジが米軍駐留を認めたことへの反発から反米闘争を始めた。(ワシントン=望月洋嗣)
2011年5月2日23時54分
米国によるオサマ・ビンラディン容疑者の殺害は国際法上、認められるのか。戦場での軍事作戦としての殺害だったと考えれば、戦争行為の一環として認められる可能性がある。しかし、国家による個人を狙った「暗殺」と解釈することもでき、米国の行為には疑問の声もある。
米国にとっては、自国の主権が及ばないパキスタンでの殺害だが、パキスタン当局の協力の下で作戦を実行したと主張している。
しかし、標的が戦闘員にあたる人物で、戦争行為の一環として戦場で殺害されたと言えるのかは意見が分かれる。ベルギー・ルーバンカトリック大学のピエール・ダルジョン教授は、この点について「本来は生きて拘束されるべきだった。国際法上、認められる殺害だったかどうかは微妙だ」と語る。
オランダ・アムステルダム大学のジャン・ダスプレモン准教授も「米側の行動がすべて国際人道法上の手続きにのっとったものだったのかどうか、今後、検証が必要だ」と指摘する。
国連の旧ユーゴスラビア戦犯法廷で判事を務めた法政大学の多谷千香子教授は、明らかに問題があるとする。「米国にとって危険人物なら、誰でも殺して良いことになってしまう」
仮にビンラディン容疑者が拘束されたとしても、人道上の重大犯罪について個人を裁く国際刑事裁判所(ICC)での審理は難しかった。米国が、政治利用の懸念を理由にICC条約に加わっていないためだ。
米国はキューバ・グアンタナモ米軍基地に設けた特別軍事法廷で裁く選択肢もあったが、同法廷自体をめぐって政治的に議論が分かれる中、そうした手続きも省略した。国際社会は「9・11」の黒幕から証言を得る機会を永久に失った。(ブリュッセル=野島淳)
トラバをいただき、ありがとうございます。
ご指摘の通り、水葬の問題など、幾つか不審なところが残りますね。
これでテロが終わるとも思えませんが、後は歴史がこの一件をどう評するかが気になります。
すぐさまタリバンが報復テロを行うなど、テロ行為の終わりはやはり見えないようです。
歴史はどう判断するのか、これには10年どころではない時間がかかるでしょうね。