2008年の秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大被告に、死刑が求刑されたそうです。
ある意味死刑を覚悟した、また覚悟の上で犯罪を起こした加害者にとって、死刑は本当に「極刑」 であるかどうか疑わしく感じます。
被害者の感情として、そんな人物には、この世にいて欲しくないと感じるのは理解できますが、 加害者の覚悟通りの刑を執行するというのもしゃくに障ることです。
死刑にしないとすると、現状では無期懲役刑ですが、これとて模範的に過ごせばいつかは出所できるそうですね。となると、 絶対に娑婆に出てこられない仕組みの「終身刑」が必要なのではないかとよく思います。
終身刑といっても、ただ刑務所で過ごしていても仕方がないので、例えば、 一生働いてその賃金は被害者への賠償に充てられるとか、尖閣諸島や南鳥島や竹島など、 領有権の主張のために収容されて一生を過ごすとか・・・これは「島流し」ですか・・・・
死刑は否定しませんが、死して楽になるのではなく、生きて償いをさせ続ける(更正目的でない)ような処罰、 という選択肢があっても良いのでは。
YOMIURI ONLINE
秋葉原事件、加藤智大被告に死刑求刑
東京・秋葉原で2008年6月、17人が死傷した無差別殺傷事件で、殺人や殺人未遂罪などに問われた元派遣社員・ 加藤智大(ともひろ)被告(28)の公判が25日、東京地裁であった。
検察側は「社会を震撼(しんかん)させた犯罪史上まれにみる凶悪事件。人間性のかけらも感じられない悪魔の所業で、 遺族や被害者の処罰感情は厳しい。多数の模倣犯を生むなど悪影響も計り知れない」と述べ、死刑を求刑した。 2月9日に弁護側の最終弁論と被告の意見陳述が行われて結審し、判決は3月24日に言い渡される。
加藤被告は起訴事実を大筋で認めており、犯行時の責任能力が主な争点。検察側は論告で、「精神障害は認められない」 とした起訴前の精神鑑定のほか、事件3日前からナイフを購入するなど犯行の準備を進めていたことなどから、 「現状認識や判断力に問題はなく、完全責任能力を有していたことは明らかだ」と述べた。
その上で、最高裁が示した死刑選択基準(永山基準)に従って罪状を検討。動機について、自身の容姿に対する劣等感や、 携帯電話の掲示板サイトで「荒らし」と呼ばれる嫌がらせを受けたことなどに不満や怒りを募らせ、 「大きな事件を起こして自分の存在をアピールしようとした」と主張し、「余りに身勝手で同情の余地はない」と批判した。
(2011年1月25日15時43分 読売新聞)