先週の21日ですが、寛平ちゃんこと間寛平さんが、遂にアースマラソンをゴール。 2年あまりでゴールしたことになりますね。
途中でガンが判明するなど、ただでさえ大変なところ、トラブルもありましたが無事に完走されました。
もちろん、誰もができることではなく、まさに「アイアンマン」と呼ぶにふさわしいと思います。 おめでとうございます(^^)。
もう芸能活動を再開されているようですが、じき、「ナイトスクープ」の探偵に復帰する日も来るのでしょう。
これからの再活躍を期待します。
産経ニュース
「日本が素晴らしい国だと知った」 会見一問一答
2011.1.21 23:33
−−改めてゴールした感想を
寛平 「まさか2年余りでゴールできるとは思わなかった。仲間が迎えてくれて幸せでした」
−−ゴールした瞬間は何を思ったか
寛平 「もうこれで明日から走らなくていいと思った」
−−一番辛かったことは
寛平 「やはり病気のこと。自分が前立腺がんと知った時は辛かった」
−−走るのをやめようと思わなかったか
寛平 「やめようとは思わなかった。スタッフら周りから何度も励ましの言葉をもらい、支えとなった。 やはりみなさんの応援が一番力になったと思う」
−−2年ぶりに日本に帰ってきたが
寛平 「日本が素晴らしい国だと知った。こんな幸せの国に住んでいて、ぜいたくをしていたのかなと思った」
−−日本に戻り、一番おいしかった食べ物は
寛平 「何もかもがおいしかった。特に卵かけご飯。めちゃくちゃうまかった」
−−奥さんの手料理で食べたいものは
寛平 「朝食はいつもアジの開きと決まっているが、女房はうまいアジの開きを見つけるのが本当にうまい」
−−一番の思い出は
寛平 「いっぱいある。つらいこともあるが。みんな優しかった。米国ではインディアンの人が家まで招待してくれて、 おばあさんの手料理を食べさせてくれた。米国ではいろいろと差し入れをしてもらって走っていた」
−−振り返ってみて2年間は長かったか
寛平 「走っている時は長いと感じた。絶対ゴールできると確信できたのは中国・西安を過ぎたあたり。 けがには注意していた。疲労骨折したらあかんし、アキレス腱を切ったら半年は走れなくなるので負担をかけないようにしていた」
−−体調の方は
寛平 「絶好調です。調子悪いとはいえないでしょう(笑)」
−−長期休暇はとれそうか
寛平 「がんばって恩返しをしないといけないが、吉本興業は休みくれないかな。明日も夜から5時間ライブする。 とりあえずやらなかん」
−−ゴールした時、奥さんからはどんな言葉をかけられたか
寛平 「ようがんばったな、と。迷惑をかけたが、もっとおもしろいことをして恩返しをしてともいわれた」
−−この次は何かに挑戦するか
寛平 「今回は地球を横回りしたが、縦回りしてくれないかといわれたら堪忍してほしい。そんなことをしたら地球が怒る。 それでも3月5日にサイパンマラソンの10キロを走るつもり」
−−歌を作って応援してくれた忌野清志郎さん(平成21年死去)には何と
寛平 「清志郎さん、『無事帰ってきました』とすぐ報告したい。見守ってくれていたと思う」
−ファンの人にメッセージを
寛平 「応援してくれたアースマラソンのファンのみなさん、無事ゴールすることができました。ありがとうございました」