先日、朝日新聞で見かけた記事。インターネットや携帯電話などが人の意識や行動にどのような影響を与えているのか、 という研究が続けられていて、その成果(?)の一部が書かれていました。
引用すると『ネットが身近にある中で育ち、メールや交流サービスなどに親しんできた世代は、その上の世代よりも、 人を信頼し、異なる立場の人や意見に寛容になっている』のような内容が述べられていました。
読んでいて、「異なる立場の人の意見に寛容」というのは、様々な意見に触れる機会が多いだろう、 ということで何となく納得できます。
ただ、「より人を信頼する」というのはちょっと違うように思いました。アンケート結果により 「ほとんどの人を信頼できる」と答えた人の割合が10代が最も高く、年代を追う毎に少なくなっている、 というのが根拠になっているようです。
たぶん、世代毎の、ネットを利用する機会の多さと同じような傾向だから、 そのような判断になっているのではないかと想像します。まあ、影響が無いとは言えないでしょう。
しかし、それよりは、それまでの人生での経験の差による影響の方が大きい、いやそちらの方が主要な要因だと思いますね。 人に関して楽しいことツラいこと、その他諸々、様々な経験により培われた「判断基準」 によるものの方がずっと大きいのではないでしょうかね。
同じ調査をあと50年ほど続けて、今の10代が60代になった時に、「ほとんどの人を信頼できる」 と答える人の割合の世代別分布が、今の調査と明らかに異なる分布になっていれば(例えば、世代別の差がほとんど無いとか)、 それはネットの影響が大きいと言っても差し支えないでしょう。
それにしても、1986年前後に生まれた「86世代」は、携帯電話で論文作成までしてしまう人もいるらしいです。 慣れ親しんでいるとは言え、よくそこまで使えるものですねぇ。
長文ともなれば、私はPCがせいぜい、携帯電話では作成する気にもなれない。これは明らかに世代の差を感じました。
asahi.com
ネット進歩、変わる意識 若い世代、送受信多いほど他人信頼
2010年7月4日
暮らしに欠かせない存在になったインターネットや携帯電話、デジタル化といった技術の進歩が、人の意識や行動、 政治への関心にどのような影響を与えているのか――こんな視点からの様々な研究が国内外で続けられている。ある研究からは 「ネットが身近にある中で育ち、メールや交流サービスなどに親しんできた世代は、その上の世代よりも、人を信頼し、 異なる立場の人や意見に寛容になっている」といった可能性が浮かび上がる。情報通信の進歩が、 人々に与える影響が少しずつ明らかになってきている。(坂田達郎、小宮山亮磨)
●若い世代 送受信多いほど他人信頼
東大大学院情報学環の橋元良明教授は1990年代から、 ネットを通したコミュニケーションなどの新たな姿を明らかにしようと、研究を続けている。
07年には、電通と共同で若者の変化を探ろうと調査を始めた。09年6〜7月、 住民基本台帳から抽出した13〜69歳の1490人にアンケート。著書「ネオ・デジタルネイティブの誕生」にまとめた。
調査結果の柱の一つは、他者に対する信頼性を意味する「一般的信頼性」が、若い世代ほど高いことだった。 「ほとんどの人を信頼できる」と答えたのは、10代が最も高い46・5%。20代と30代はいずれも41%超で、 60代が最低の31・5%だった。「人を助ければ、自分が困っている時に誰かが助けてくれる」と答えたのは、10代、 20代がいずれも69・8%で最も高かった。
また、人と直接会って話すより、メールでやり取りする方が気楽だと答えた割合が高いことも若い世代の特徴だった。 人とのつながりを求める強い欲求もあり、この欲求を満たすため、 人と直接会わずに済む交流サービスやネットオークションなどに向かっていると橋元教授はみる。
橋元教授は「若い世代ほど人を信頼し、広い世界に飛び出す気構えがある。 こうした性向はネット環境から影響を受けている可能性が高い」と分析する。
NTTドコモは04年、携帯電話が社会に与える影響を、負の側面も含め、 業界の利害から離れた立場で考えようとモバイル社会研究所を設立。携帯と子どもの関係を中心に大学などと共同で研究、 外部の専門家にも研究を委託している。
昨年、8〜18歳の子どもを対象にした調査で、メール送受信の頻度と一般的信頼性の関係について尋ねた。すると、 送受信数が多いほど「ほとんどの人は他人を信頼している」などと答えた割合が高かった。
「気の合う友だちとだけ付き合うことが多くなった」「世代の違う人とコミュニケーションできるようになった」。 この二つの異なる傾向は、メール送受信の数が多いと両方とも強いという結果も出た。
向田愛子研究員は「携帯電話のメールはこれまで、 狭い範囲で使われる傾向が強いコミュニケーション手段と考えられていたが、交際範囲を広げる役割ももつようになってきている」 と話す。
●米の懸念 情報えり好み、偏る知識
インターネットを使うほど、孤独感や憂うつ感が強くなる――。ネット先進国の米国で98年、こんな研究が発表され、 反響を呼んだ。
カーネギーメロン大のロバート・クラウト教授の研究グループが95〜97年、 ネット経験がない人にパソコンを配布して調査。コミュニケーションを豊かにするはずのネットが逆に作用したため、 「インターネット・パラドックス(逆説)」と呼ばれた。
ところが、調査を続けると数年後には一転、ネットを利用することで、 家族や友人との接触がより促進されるという結果が出た。
クラウト教授らはネット環境の変化を理由にあげた。90年代半ばまでは利用者がわずかで、 ネットに時間を費やすことで家族や友人と接する時間が奪われた。しかし、90年代末ごろからネットが急速に普及。 実生活でのつながりを深められる手段として機能し始めた――としている。
シカゴ大などで教えていたキャス・サンスティーン氏は01年に発表した自著で、 「ネットが民主主義にとっての危機を招く」と警告した。
紙の新聞やテレビなど旧来のメディアでは、様々な内容のニュースが、一つの紙面やニュース番組などで扱われる。 関心のない話題でも目にとまりやすい。
一方、ネットでは膨大なニュースの中から、IT技術を使って興味のあるものをより分け、 関心のないニュースは無視することも可能だ。結果として読者の知識が偏っていくことを、サンスティーン氏は懸念する。
米国では大統領選直後の05年、政治的話題を扱うブログで、 保守派とリベラル派のそれぞれのサイトのリンク先が同意見のサイトに偏り、反対意見へのリンクはほとんどなかった、 との研究結果もある。
●政治 幅広い論議には「不向き」
国立情報学研究所の小林哲郎助教は、政権交代が実現した昨年8月の総選挙中、 ネットで政治ニュースがどう読まれたかを調べた。
自民、民主両党の支持者がそれぞれ、支持政党に好意的なニュースをより多く読む傾向は多少みられた。しかし、 二大政党制の米国のような大きな偏りはなく、保守、革新の分断を深める傾向はなかった。
選挙期間中に最も多く閲覧されたニュースサイトはヤフーだった。小林助教は 「たとえば芸能ニュース閲覧のためにヤフーを訪れ、偶然、政治ニュースも読むことで知識が底上げされる」。一方で 「関心に見合ったニュースをオーダーメード的に配信する技術が進歩すれば、こうした効果は消えるかもしれない」と懸念する。
明治学院大の宮田加久子教授(社会心理学)は「ネットは本来、異なった立場、考えの人とも幅広く意見交換できる。 政治的な議論がどれくらい活発に交わされているかと期待したが、予想外に低調だった」と話す。
1月、首都圏と近畿圏に住む20〜50代の男女、計千人にオンライン調査。ネットをどのように使い、 政治情報を何から得ているかなどを尋ねた。
結果を分析すると、友人や家族と直接、政治について議論を交わす人と、掲示板やツイッター、 交流サービスに投稿するなどネット上で議論する人とでは、政治情報の接し方に違いがあった。
人と直接会って政治の話をする人は、テレビも新聞もニュースサイトも見ていた。一方、 ネット上の政治論議に参加する人はテレビや新聞を見ず、ネットニュースを見ている人もわずか。情報は政治関連のHPやブログ、 ツイッターなどから得ていた。
宮田教授は「いまのネット上の政治論議は、ブログやHPといったところで拾った話を、掲示板に書き込むといった具合で、 成熟した議論は成り立ちにくい。幅広く政策を論じるには不向きで、 05年の郵政選挙のように一つの争点に偏るような時に議論が盛り上がる傾向がある」とみる。
◆76世代「パソコンで文章・多いIT起業家」 86世代「携帯電話が中心、論文の執筆まで」
生まれた時からネットなどが当たり前の存在だった「デジタルネイティブ(生まれつきデジタル)」。 そう言われる世代でも、10年違うと使い慣れた機器も違う。橋元教授と電通の調査では、大学生のころにネットが普及し、 IT起業家も多い1976年前後生まれの「76世代」と、10年後の「86世代」に分けて分析した。
76世代はパソコンと先に出合い、就職ではバブル崩壊の影響を受けた。パソコンで文章を書き、 ネットで世界とつながることを知り、社会に大きなインパクトを与えた。
86世代が使うのは携帯電話が中心だ。携帯で素早く文章を書くことができ、画面を小さいと感じない。 論文を携帯で書いて提出する大学生もいるという。パソコンを立ち上げるのにかかる時間に、 イライラする気持ちが強いことも特徴だった。
デジタルネイティブの進化形として「ネオ・デジタルネイティブ」の誕生も予測。いまの中学生の「96世代」 以降が該当するとした。
橋元教授は「携帯電話やゲーム機による動画漬けの生活スタイルが一層進み、86世代とも大きく異なる兆しがある。 本格的に研究したい」と言う。
いつでもどこでも論文書けてしまいますね。確かに、書記の携帯電話の頃に比べて、使える漢字も格段に増えました。まだ、拙僧のような文系の学者には、ちょっと厳しいですけれども、その内にこれも解消され、「親指一本」で論文を書く時代から、「仕上げる」時代になるのかもしれませんね。
スマートフォンなら、グラフや表も駆使して作成できるかもしれませんね。
使い方に慣れた世代が増えてくるにつれ、「一般化」してくるのでしょう。
政治論議で「成熟した議論が成り立ちにくい、幅広く政策を論じるには不向き」という大学教授の見解は、新聞のようなレガシィメディアにとっては援護射撃になるでしょうね。
「若い世代ほど・・・」というのは我田引水な解釈をしてるように思えてなりません。
政治論議も、結局は自分の思うところを主張しないと「成熟した」議論は成り立ちにくいでしょうね。
情報を拾い上げるのにはネットは便利ですが、そこから先が問題になりますね。