2010年03月31日

「平成の大合併」終わり

 今日は3月31日、年度末の最後の最後でいろいろなことに区切りがつく日です。

 私の仕事も今日で一区切りですが、何とか節目は乗りきれたという感じですね。まあ、 ペースは多少ゆったりめにできるものの、仕事自体は3月60日、90日と継続になるんですが。

 

 そんな3月31日ですが、1999年に始まった市町村の「平成の大合併」も今日で法律上の特例措置が終わり、 一段落となるそうです。

 結果的に市町村の数は3232→1727とほぼ半減したとのこと。行政の効率化に主眼があるようですが、 私の住む大阪では1町減っただけでほとんど進まなかったですね。実家は合併により、名前が変わりました。

 

 この大合併で市町村名が変わり、 これまでの時間とともに培われてきた地域のイメージが変わってしまったところも多々あるでしょう。

 まちづくりや地域の振興という点からは、プラス面・マイナス面両方が生じているでしょうね。良くも悪くも、 これまでの戦略や成果をリセットする時期だったと言えそうです。

 

 越県や飛地など、変わった形態の合併もあったようですが、例えば、岐阜県高山市は合併後の面積が大阪府よりも広く、 日本一広い市となったそうでf(^^; あまりに面積が広いと「飛騨高山」のイメージが拡散してしまうかもしれません。 その一方で、「高山」となったことで、全国的な知名度がぐっと増した地域もあるかもしれませんね。

 

 これからまた時間が経てば、新しい地域のイメージが造られていくのでしょうが、それが定着してくるのは、 早くても私たちの子供や孫の代になったぐらいでしょうか?

 それを考えると、合併した地域のイメージづくりには、普通よりも息の長い取り組みが必要な感じです。

 

YOMIURI ONLINE
平成の大合併が終了、市町村数半減1727に

 1999年度に始まった「平成の大合併」は31日、新潟県長岡市、長野県松本市、 長崎県佐世保市がいずれも編入合併で新市としてスタートし、終結する。

 合併特例法が26日に改正されており、今後は、自治体の自主的な合併を促す。総務省によると、 99年3月に3232あった市町村は、1727にほぼ半減した。

 合併で首長ら三役と議員が約2万1000人減り、年1200億円の支出が削減された。 職員の削減や施設の統廃合などにより、経費削減効果は10年後、年間1兆8000億円に達すると試算している。

 合併が最も進んだのは長崎県で、79市町村から21となり、村はなくなった。次いで広島県が86市町村から23に、 新潟県も112から30に大きく減り、いずれも減少率70%を超えた。

 一方、進まなかったのは、1市が減っただけの東京都と1町減の大阪府。神奈川県も4減で、大都市部で進まなかった。

 平成の大合併は、自治体の姿や住民の暮らしぶりを大きく変えた。

 31日に誕生した「新長岡市」は、新潟県中越地震で大きな被害があり財政危機となった川口町を編入合併。 川口町は住民投票で、財政規模の大きい長岡市との合併を選び、隣接する小千谷市をまたぐ飛び地合併となった。

 長野県山口村は2005年に岐阜県中津川市と越県合併。文豪・島崎藤村の出身地として知られるが、 多くの村民は生活圏となっていた岐阜県側への合併を支持した。山梨県上九一色村は南部と北部が2市町に「分村合併」した。

 岐阜県高山市は周辺町村の編入で、面積が香川県や大阪府を超え、日本一広い市になった。

 合併で誕生した和歌山県みなべ町はウメ生産量全国一に躍り出て、「梅酒特区」の認定を受けて町おこしを展開する。 町うめ課の林秀行課長(54)は「名実ともに全国トップで、自信を持ってPRできる」と胸を張る。

 平成の大合併1号となった兵庫県篠山市は、合併で認められた特例債を約178億円発行し、 市民センターや図書館などを次々に建て、財政難に陥った。借金返済にあえぐ市の財政担当者は「特例債発行の額が大きすぎた。 今後も厳しい財政運営は避けられない」と話した。

 ◆合併特例法=地方自治体の行財政基盤の強化のため、国が1999年に改正し、 合併特例債の発行などの財政上の優遇措置を2006年まで拡充した。 市の人口要件を5万人から3万人に緩和することなどの期限は、10年3月末までとなっている。

(2010年3月31日14時43分  読売新聞)

 

posted by いさた at 16:18 | Comment(4) | TrackBack(0) | 景観とまちづくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人気ブログランキングへ 【当ブログや記事を評価していただける方へ】
最後までお読みいただきありがとうございます。m(_"_)m
上のバナーをクリックしていただけると励みになります。

この記事へのコメント
> 管理人様

> この大合併で市町村名が変わり、これまでの時間とともに培われてきた地域のイメージが変わってしまったところも多々あるでしょう。

研究の関係上、どうしても古文書を読まねばならないわけですが、その中で、地名が段々分からなくなるというのは、本当に致命的だったりします。あまりにイメージ先行や、分かりやすい名前というのも困りものです。
Posted by tenjin95 at 2010年03月31日 20:07
 古文書を読まないといけない研究も困りますが、道路標識が地名ではなく市町村の名前になっているので道が分らなくなったりします。大抵今までより広くなっているので信じて走った道がとんでもない場所に行く道だったりと。

 前に住んでた山梨県だと甲州市、甲斐市、山梨市、中央市、甲府市って、県庁所在地は何処とか県の真中にあるのはどれ、なんてクイズになりそうな有様。
Posted by ボッケニャンドリ at 2010年04月01日 09:15
>tenjin95さん

古文書を読むのに、地名の変遷の知識が余分に必要にになる、ということでしょうか。

確かに合併後の市町村名は従来の「地域名」に近づいているところが多いようで、具体的な場所がわかりにくいところが多いと思います。

住民の合意という事を考えると致し方無いところもあるのでしょうね。
Posted by いさた@管理人 at 2010年04月01日 10:06
>ボッケニャンドリさん

>甲州市、甲斐市、山梨市、中央市、甲府市って

中央市は別として、山梨のあたりにあるのはよく分かりますが、確かに紛らわしいですね。

高速のインターチェンジなどは、元の名前を保っているようなので(変わったところもあるかもしれませんが)、そちらの方が逆に馴染み深く感じたりしますね。
Posted by いさた@管理人 at 2010年04月01日 10:10
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。