文化庁が平成20年度の「国語に関する世論調査」の結果を公表しています。この調査は平成7年度から行われています。
今回の発表によると、「言葉で伝えるよりも、互いに察し合って心を通わせること」に重きを置く人が、この10年で1.4倍になり、全体の30%を超えたそうです。また、控えめで謙虚な言葉を好む傾向にもなってきているとのこと。
文化庁は「KY(空気が読めない)を恐れ、場の空気に合わせようとする風潮の表れでは」と指摘しているそうです。
私は、互いに察し合うという割合が増加した、という点については、昔(少なくとも昭和の頃までさかのぼるぐらい)の風潮への揺り戻しが起きているのかな?と直感的に感じました。
これまでの、自分が思うことははっきりと言葉に表しましょう、という教育への反動みたいなもので。
その背景に、文化庁の指摘にあるように、「KY」があるのかもしれません。しかし、揺り戻しとはやっぱり違う現象のような気がします。
もうひとつ感じたのは、メールや掲示板といった文字によるコミュニケーションの割合が高くなり、対面もしくは電話での会話、という方法が少なくなったせいもあるのではないか、ということです。
対面で話す、電話で話す方法では、言葉以外に、相手の目線や表情、声のトーンからも相手の気持ちや考えていることが伝わりますが、文字だけとなるとそうはいきません。
例えば仕事なら、メールの文面だけでは相手の真意が良くわからず、実際に会ったり、電話で話してみるとかなり違った感触だった、というケースが結構あります。
文字だけで伝わらない部分を補うため、顔文字であったり、(笑)のような感情を表す表現が使われますが、やはり限界がありますね。
で、その限界からさらに進んで、文面や表現から「お互いに察し合う」ということが円滑なコミュニケーションをする上で「必要な技術」になってきているのではないか、と思っています。「行間を読む」というヤツです。
まだ、日本の本格的なネット利用が始まってそれほど間もない、メーリングリストが全盛だったような頃は、言葉尻やちょっとした表現一つですぐに「炎上」が起き、それも各所で結構頻繁に起きていたと思います。
それが、最近の炎上の舞台は掲示板であったりブログであったりするわけですが、昔に比べれば頻度は少なくなっているのではないでしょうか。統計的データがあるわけでなく、個人的印象のみですが。
そうなってきたのも、いろいろと要因があって、例えば、過去に学び、表現自体に気をつけるようになった、あるいはひどいのは放置・無視するようになった、などなど、いくつかあるでしょう。
さらに、その中に字面のみで解釈するのではなく、行間を読んで「お互いに察し合う」ような、一種の寛容さが身に付いてきた、ということもあるのではないでしょうか。
コミュニケーションの仕方が変化し、解釈の仕方が成熟してきた、ということかもしれません。
文化庁
国語に関する世論調査
YOMIURI ONLINE
KYイヤ…言葉で伝えず「察し合う」が人気
言葉で伝えるより、察し合って心を通わせることを重んじる人が、この10年で1・4倍に増え、全体の3割を超えたことが4日、文化庁の「国語に関する世論調査」で分かった。
控えめな言葉を好む傾向もうかがえ、同庁は「KY(空気が読めない)と言われることを恐れ、場の空気に合わせようとする風潮の表れでは」と指摘している。
調査は今年3月、全国の16歳以上の男女3480人を対象に面接方式で実施し、1954人から回答を得た。人と付き合う時、互いの考えをできるだけ言葉にして伝えるか、全部は言わなくても互いに察し合うことを重視するか、という質問では、「言葉にする」は38%と前回調査(1999年度)から12ポイントも減少したのに対し、「察し合う」は10ポイント増えて34%だった。
「美しい日本語とはどんな言葉か」との問いでは、控えめで謙遜(けんそん)する言葉との回答が、同じ質問をした2001年度比で11ポイント増えて40%に達した。これに対し、アナウンサーのような語り口を美しいと感じる意見は10ポイント減の17%。思いやりの気持ちを表現した言葉を好む意見は63%と最も多かったが、前回調査からは2ポイント減少していた。「日本語を大切にしている」という人は増えており、前回調査(01年度)比8ポイント増の77%にのぼった。特に、10代の若者(16〜19歳)は44%から72%に28ポイントも増えていた。
一方で、「来られる」を「来れる」とする「ら」抜き言葉を「言葉の乱れ」ではなく「言葉の変化」と考える人が9ポイント増の41%に達していたほか、書き言葉、話し言葉とも正しく使うべきだと回答した人は33%で、10年前との比較で10ポイントも減っており、言葉を大切にする意識と実態の間にギャップがうかがえた。
(2009年9月4日22時13分 読売新聞)
> メーリングリストが全盛だったような頃は、言葉尻やちょっとした表現一つですぐに「炎上」が起き、それも各所で結構頻繁に起きていたと思います。
メールの読み間違い、或いは表現の問題等々、原因はいくらでもありましたが、確かにあの頃は酷かったですね。ご指摘の様に、最近はそれほどでもないように思います。徐々に冷静さが出来てきたのか?それとも、誤解というのはある程度折り込み済みになったのか?この辺も調べると面白いかもしれませんね。
ちょっとしたことに噛みつくのではなく、テキストの内容を冷静に考えるような、ワンクッション置いた考え方をするようになってきているのかもしれません。
テキストだけで意思疎通を図るには、これまでとは違った姿勢が必要なのでは。