関東のラジオ番組で、「いただきます」を言う・言わないに関したことで、 ちょっとした論争のようになっている(いた?)そうです。私は大阪なので、その番組が聞けるわけでもなく、 このことを知ったのは、Y's WebSite : Blog 〜日々是好日〜 さんの記事からです。
なんでも、ある母親が小学校に「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。
給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と申入れたそうです。
それについて、数十通の反響があり、否定的な意見が多かったものの、中には肯定的意見もあり、さらには
「手を合わせることは宗教的行為だ」と疑問を持つ人もいたそうです。
私は、ご飯が食べられるということに感謝して「いただきます」とおいしく食べて、食べ終ったら「ごちそうさま」、 というのが気持がよい、というか、それがごく普通のことだと思うのですが、 この母親のような意識を持っている人もいるのですね。
この母親の場合だと、『食べ物に対価を支払っていなければ、「いただきます」と言うことを強制される』
(対価を払っていれば言う必要はない)ということになるのでしょうか。「いただきます」という言葉・行為が、
単に形骸化した礼儀作法の一つ、といった理解になっているように思えます。
単に費用を支払う・支払わない、という関係だけで考えているのであれば、心寂しいですね・・・・
このような考え方をしていると、物事への感謝の思いはなかなか湧いてこないのではないでしょうか。
また「宗教的行為だ」というのは・・・もういったい何が言いたいのやらわかりません。
わたしは去年の11月に新聞の投書で載っていたのを見て記事を書きました。
いただきます、以外にも店で騒いでいた小学生を注意したら「客にそんな口をきいていいのか?」と逆ギレされたという話もありました。
わたしも昔スーパーに勤めていましたが、「こっちは金を払っているんだ!」という傲慢な態度をとる客がいました。
「感謝」の気持ち、相手を思いやる気持ちが廃れているような感じがしてなりません。
小学生の逆ギレの話はすごいですね。「お客様は神様です」という有名なフレーズの解釈の仕方から、傲慢な態度に繋がってしまうのでしょうか。
最近の子供や自分と同世代にもかなり「おバカさん」おりますね。
権利と義務の関係が分かっていない人、
「いい加減」と「良い加減」の区別も付かない人など。
fmat21さんの「「感謝」の気持ち、相手を思いやる気持ちが廃れているような」というコメントと同じです。
母親の主張するところは、生まれ育った文化が違う人の考え方のように思えますね。