2009年04月23日

長崎・軍艦島の一般公開はじまる

 長崎に通称「軍艦島」という島があります。かつて、海底炭鉱の島として繁栄したものの、1974年の炭鉱閉山と共に急速に寂れ、無人島になっている島です。

 その特異な成り立ちと島の外観から、世界遺産の国内候補にもなったことのある島ですが、この度長崎県が観光地として利用しようと、見学路や見学広場を整備し、35年ぶりに一般公開をはじめたそうです。

 

 軍艦島には、良質の石炭があることがわかり、1890年(明治23年)から炭鉱の操業を始め、その後、島には人が暮らすための施設が造られていきました。施設を造るために埋め立て地を広げて行き、1.2キロの島の全周は堤防でかこまれています。

 

 最盛期には約5300人が島で暮らし、住居から学校、病院、商業施設など、都市としての機能を一通り揃え、かつ当時世界一の人口密度といわれていたとのこと。鉄筋コンクリートの高層住宅は、国内でも初期の部類にはいるものだそうです。

 

 35年間も無人で、立ち入りが危険な場所もあるぐらいに、すっかり廃墟になってしまっていますが、「文化遺産」として見ると、この廃墟であることが、栄枯盛衰の有り様を伝えているようです。

 日本国内では、これほどの廃墟は他に無いのでは。歴史的背景を抜きにしても、一度間近で見てみたいな、と興味そそられる場所ですね。しかし、離島でもあり、気象条件などで気軽にいつでも行ける場所では無いらしいです。

 

 観光資源として利用、あるいは世界遺産への登録を目指すのであれば、島の保存をどうするか、という問題になってきますが、廃墟をこれ以上壊れてないように保存する、というのもちょっと違和感があります。

 随時、廃墟の姿を映像や写真などで記録に留めていくとしても、このまま時間が過ぎ、徐々に荒れていく様を見せるような、一種の動態保存的な手法が可能になれば、面白いのかな、と思いますね。

 

YOMIURI ONLINE
軍艦島35年ぶり上陸解禁、繁栄伝えるアパート群と炭鉱跡

 海底炭鉱の島として日本の近代化を支え、1974年の閉山後、立ち入りが禁止されていた長崎市沖の端島(はしま)(通称・軍艦島)で22日、35年ぶりに上陸が解禁され、元島民や観光客ら約80人が高層アパート群や炭鉱跡を見学した。

 島では、建物の崩壊が進んでいるが、市は新たな観光資源にしようと、2007年度から約1億円をかけて見学施設を整備してきた。08年には世界遺産国内候補地にも選ばれた。明治から昭和にかけて良質の石炭を供給。日本で初めて鉄筋コンクリートの高層アパートが建設され、60年頃には約5300人が暮らした。

(2009年4月22日22時45分  読売新聞)

 

asahi.com
軍艦島、一般公開始まる 夫の遺影とともに「里帰り」も

2009年4月22日20時13分

 炭鉱が閉山され無人島になった長崎市の軍艦島(正式名・端島)の一般公開が22日、始まった。観光客らが上陸できるのは35年ぶりで、この日は約70人が朽ちた高層住宅などを見学。最盛期には5千人以上が暮らしたという繁栄ぶりに思いをはせた。

 島は長崎港から約19キロ南西にあり、周囲1.2キロ。三菱が1890(明治23)年から海底炭鉱を操業したが、1974(昭和49)年1月に閉山し、同4月から無人島になった。

 元島民の長崎市京泊の黒田トシ子さん(74)は、石炭運搬などに携わっていた夫の遺影を持って訪問した。「住んでいたアパートを見ることができて、懐かしさがこみ上げた」と話した。

 市は観光資源として生かそうと、約230メートルの見学通路と、3カ所の見学広場などを約1億円かけて整備した。市は年間2万人余が訪れると見込んでいる。

 

posted by いさた at 00:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 景観とまちづくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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