本来は、「長者の万燈より貧者の一燈」で、ものの多寡ではなく、真心がこもっているかが問題、として用いられる言葉ですが、「貧者の一燈」と短くして、自身の行いを謙遜する意味でも使われるようです。
自分で自分の行いを「貧者の一燈」と表現すると、前者の意味と後者の意味ではずいぶんと違うことになります。場合によっては、自画自賛につながるニュアンスにもなりかねない?
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ありがとうございます。
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この話、元々、仏教の経典にある説話のことだと思っていたもので、意味的にはこちらで紹介されている「真心」云々ということですので、或る塾の社長の用い方には、疑問を持っておりましたが、こちらの記事を見て、分かりました。ありがとうございます。
本来は、tenjin95さんの言われるとおりで、辞書を引くと、こちらの意味が書いてありました。(私が持っている辞書の範囲では)
ネットで検索していると、謙遜の意を込めた使い方が見受けられるので、意味が転化してきている言葉なのかも知れません。