私は不覚にも今まで知りませんでしたが、「美しい景観を創る会」という任意団体があります。そこで、
「悪い景観100景」というのをセレクトして、
とりあえず暫定70景で公開を始めています。
そのページによると『広く国民、関係地域の皆様に対して、醜い景観を改善するための世論喚起を図りたいと考えています。』
ということです。
会のメンバーは、私など及びもつかない、経験豊富な先生方が集っており、
会の活動としてもまだこれから活発になっていくのだろうと思いますが、まずは「悪い景観100景」と銘打って、
前面に押し出されていると、批評家集団のように思えてしまいますね。
「いろいろと批判はするが、具体的改善策の提案はしない」ような感じを受けてしまうのですが、
シンポジウムを開催しているようなので、そちらでは前向きな提案をしているのかもしれません・・・やっぱり、
イイ話は有料ということでしょうか(^^;
「悪い景観100景」自体は、確かに美しいとは言えない場所が多々あるかと思います。しかし、まず 「美しい景観100景」を公表していて、私たちはこんな風景がいいんだ、というような、 会としての姿勢や価値観をはっきり示した上で、「悪い景観100景」というのであれば、よりわかりやすいし、 世論の喚起につながりやすいと思いますね。
美しい・美しくないで論じると、方向性が拡散するし、「美しい景観」をセレクトする方が、 かえって難しいのかもしれません。
2006/02/08 追記
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地下配線にするにしても、コストやメンテナンスの面で、そうそう簡単にはできないでしょうし。
しばらく考えているのですが、美しいか美しくないかは、エラい先生が決めることでもなければ、みんなで決めるものでもないのかも知れません。人それぞれ感じ方が違うと言ってしまえばそこで終わっちゃいますが、それぞれが「廻りの人は、こんな風に考えてんねんな」と、きちんと理解するところから全ては始まるような気がしています。
そういう姿勢で望もうという態度が感じられないところが、「美しい景観をつくる会」に対して、私が釈然としないところなのかも知れません。
ま、あれだけのビッグネーム&お年寄りに「人の話にも耳を貸せ」というのが無理な話なのかも知れませんが、、、。
さきほど、美しい景観を創る会のサイトを見てみようと思ったのですが、サーバが見つかりません、と怒られてしまいました。
会に関して釈然としない思いは私も同じですが、景観問題に対する意識は、エライ先生ともなると、基本的なスタンスから違っているのかも知れません。次元が違うのかもしれませんね。
まず、会が行っているシンポジウムですが、先日行ってきました。有料ではありません。無料です。ただし先着順です。
それから、美しいかどうかはエライ先生が決めることではない、ということについて、会の先生方は、そのようなつもりは全くないと思いますが、日本の伝統的な美しさに対する造詣が深いので、かつての日本にあったそうした美しさ、風流ある日常空間からすと、今の日本には悲しい風景が多すぎるということなのだと感じます。例えば明治期に来日した多くの欧米人は、日本の風景、都市の景観の美しさを褒めちぎっていますが、今の日本にそのような評価をしてくれることはほとんどないのではないでしょうか。
また、そうしたきれいな町は、エライ人だけでなく、むしろ町や農漁村の当時の庶民の空間にこそあったらしい。では生活スタイルが全く変わってしまった現代はどのようにしたら美しいといえる景観をつくることができるのか、そのような問から会は存在しているように思います。
私は、会とは関係ないので、あくまで賛同する立場からの想像ですが、もし会の趣旨がこのようなものであったとしたら、また違ったとしても趣旨を伝えるための方策として、悪い景観100景は、適切ではなかったということでしょうか。
コメントありがとうございます。
ご意見につきましては別に記事を書いてみましたので、よろしければ読んでみてください。
http://isata.seesaa.net/article/12882148.html