エキスポランドが民事再生法の適用を申請したとのこと。引用した産経ニュースは、斜陽化している大阪の象徴、 といった趣の記事も出ています。
衝撃的だった風神雷神2の事故以後、何かとトラブルが発生したこともあり、信頼が失われ、 永らく閉園状態が続いていました。遊園地としての存在感も失われてきて、ここで民事再生、 というのも致し方ないところでしょうね。
今後は、絶叫マシンを無くしてファミリー向け施設にしたい、ということです。手腕次第ということになりますが、 USJ、ひらパーの対抗馬、というのは難しい気がします。
かつての阪神パークや宝塚ファミリーランドは、 ショッピングセンターやタワーマンション群へと姿を変えてしまいましたが、エキスポランドはどうなるのでしょうね。
同じ道をたどることになるのなら、大阪府庁の移転先に立候補してみるとか・・・・
産経ニュース
「信頼回復できず…」 エキスポ社長、苦渋の表情
2008.10.29 12:15
「失った信頼を回復できなかった」。29日、大阪地裁に民事再生法の適用を申請した大阪府吹田市の遊園地 「エキスポランド」。記者会見した清水忠一社長は、苦渋の表情を見せた。1人が死亡、 19人が重軽傷を負った昨年5月のジェットコースター事故から1年半、運営は迷走。 大阪の隆盛とともに歩んできた遊園地は、斜陽の大阪と時を同じくするように、36年の歴史の幕を閉じることになった。
この日午前10時すぎから始まった記者会見。清水社長は 「まずは20人を死傷させたことに関して心からおわびしたい」と深々と頭をさげ、「全力をあげて再開を目指していたが、 残念で断腸の思い」と語った。昨年8月に「安全宣言」し営業を再開したが、その日に小型コースターが緊急停止し、 その後もトラブルが続発した。入園者数は前年同期の20%にまで激減。清水社長は「予想以上の落ち込みだった」 と振り返った。
また、24日の取締役会で民事再生申請を決めたことを明かし「支援企業との交渉を続けながら、 うまくいかなければ独自再開を果たすということを考えた。ぎりぎりまで努力をしてきた」と述べた。
さらに今後の具体的な再生計画について、絶叫マシンを排除し、ファミリー向けの施設としたい方針というが、 「事故のイメージを和らげて入園しやすいようにファミリー参加型にしたいが、どれだけ集客できるか…」と口ごもった。
2008.10.29 12:10
「人類の進歩と調和」をテーマに、 大阪で昭和45年に開催された日本万国博覧会の遊園地として登場したエキスポランドは、 高度経済成長後の大阪が最も輝いた時代を象徴する施設でもあった。
38年前、吹田市の千里丘陵に118のパビリオンが建ち並び、 会期中は万博史上空前の6421万人が押し寄せた大阪万博。エキスポランド内にあったジェットコースター 「ダイダラザウルス」は、最長1186メートルを時速65キロで走り抜ける「東洋一のコースター」と呼ばれ、 月面着陸したアポロ11号が持ち帰ったアメリカ館の「月の石」に並ぶ人気を誇った。
当時は阪急電鉄が中心になってエキスポランドを運営。閉幕後には撤去される予定だったが、 周辺住民や地元自治体の強い要望で存続が決まり、 大阪万博の協力業者として参加した山田会長が運営を引き継ぐ形で昭和47年に開業した。
約20ヘクタールの広大な敷地に約40のアトラクションがあり、 開業当初から関西を代表する遊園地として人気を集め、平成12年10月には累計来場者数が5000万人を突破。 しかし少子化やレジャーの多様化で客足は離れ、 コースター脱線事故の影響で休園中の今年5月には万博当初からあったダイダラザウルスも撤去された。
かつて輝かしい未来を提示した大阪万博。その面影も今やエキスポランドと北にそびえる太陽の塔だけになった。 にぎやかったあのころの面影がまた一つ消えようとしている。
「大阪学」シリーズなどの著書がある大谷晃一・帝塚山学院大名誉教授は 「大阪の老舗や有名店が次々閉店する中で寂しいニュース。大阪の斜陽の象徴がまた一つ加わった。 万博でにぎわった日々から、過ぎた月日の長さを感じる。事故による客足減からの挽回を願っていたが残念だ」 と話している。
京都のホテルで、フロントにあった新聞で、このことを知りました。有ってはならない事故1つで、奈落の底という感じですね。
やはり、あの事故が致命的な痛手になったのでしょうね。
ただ、大阪周辺では、結構遊園地が無くなってしまったので、事故が無くとも、エキスポランドの民事再生や閉園は、時間の問題であったかもしれません。