朝日新聞夕刊に、「素粒子」というコラムがあり、6月18日付夕刊で、鳩山法相を「死に神」 よばわりしていたそうです。それに対し、鳩山法相が「死刑執行された方に対する侮辱」と強く抗議。産経では「激怒」 という表現が使われています。
「素粒子」なるコラムをこれまで読んだことが無いので、少し検索してみましたが、ウェブでは読めないようですね。 短いコラムではあるようです。
文として切取られたフレーズだけ見ると、斜に構えた視点で紋切型に書いているような印象を受けます。筆者としては、 鳩山法相を良く思っておらず、死刑制度に関しても反対の立場であろうと想像できます。
軽率な発言が多く、何かと批判を浴びる鳩山氏を揶揄したい、という意図が働いているのでしょうが、 個人で細々と書いているブログ記事ならばともかく、広く読まれる新聞のコラムの文章としては、品性が欠けていますね。
法務大臣の、法律に従った職務の一部を「死に神」というのはやはり問題があると思いますね。 大臣の気分で死刑が行われている、という印象を与えかねないですし。死刑制度反対の立場からは、 死刑執行命令を出した法務大臣は誰であれ「死に神」なのでしょうか。
それにしても、朝日のコメント「社として特にコメントすることはありません」というのはどういう意味だろう? 文責はコラムの筆者にあり、会社は関知しないということか?それとも、社としてコラムに書いたとおりの立場である、 ということだろうか?
逃げていることに間違いは無さそうですが。
鳩山法相の『そう言う軽率な文章を平気で載せる態度自身が世の中を悪くしていると思う』、 アサヒにそんなことを言っても、以前から自明なことを繰返しているだけように思えます。社のコメントからもわかるとおり、 アサヒに報道姿勢を改める気は無いでしょう。
そのような報道姿勢を念頭において、アサヒの報道を判断する必要がある、ということですね。
産経ニュース
朝日「死に神」報道に法相激怒 「死刑執行された方に対する侮辱」
2008.6.20 11:08
今月17日に宮崎勤死刑囚(45)ら3人の死刑執行を指示した鳩山邦夫法相を、朝日新聞が18日付夕刊で 「死に神」と報道したことについて、鳩山法相は20日の閣議後会見で、「(死刑囚は)犯した犯罪、 法の規定によって執行された。死に神に連れていかれたというのは違うと思う。(記事は) 執行された方に対する侮辱だと思う」と強く抗議した。
「死に神」と鳩山法相を表現したのは、18日付朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」。 約3年の中断を経て死刑執行が再開された平成5年以降の法相の中で、 鳩山法相が最も多い13人の死刑執行を行ったことに触れ、「2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、 死に神」とした。
会見で、鳩山法相は「私を死に神と表現することがどれだけ悪影響を与えるか。 そういう軽率な文章を平気で載せる態度自身が世の中を悪くしていると思う」と朝日新聞の報道姿勢を批判した。
asahi.com
法相、朝日新聞夕刊コラムを批判 「死に神」表現で
2008年6月20日13時35分
鳩山法相は20日の閣議後の記者会見で、朝日新聞の18日夕刊1面の時事寸評コラム「素粒子」 で死刑執行に絡んで「死に神」と表現されたことについて「大変な問題だ。 そういう軽率な文章を平気で載せるということ自体が、世の中を悪くしている」と批判、「司法の慎重な判断、 法律の規定により、私も苦しんだ揚げ句に執行した」などと述べた。
「素粒子」では「2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」などと表現した。
法相の発言について、朝日新聞社広報部は「社として特にコメントすることはありません」としている。
或る意味、日本国民(?)であるこの朝日新聞社の記者が、死刑にして、そして、殺しているのであって、国民全員が自分が殺していると納得しなければならない、そして、そのようにして犯罪者をこの世から排除するという選択肢を選んでいるのですから、このことについては、誰も善悪の基準を当てはめることが出来ないと思いますね。
>日本国民(?)であるこの朝日新聞社の記者が、死刑にして、そして、殺しているのであって
少なくとも、素粒子の筆者はそのようには思っていないでしょうね。
>誰も善悪の基準を当てはめることが出来ないと思いますね。
命令に際して大臣も苦しむ、と言っているので、少なくとも善ではないと思います。
かといって、二元論的に悪である、とは言えない問題ですね。